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放射能の見えない恐怖の中、食堂経営に頑張る同級生とあってきました(2011/04/20) [雑感]

原発30㎞圏内に一部がかかり、物資も届かなくなっているとのこと、故郷田村市に帰ってきました。
故郷(オリジナル)で歌った移ヶ岳もうっすらと雪化粧、私が住んでいたころの田村市(旧船引町)と何も変わっていないように思えるのですが、放射能の見えない恐怖が故郷に住む人々の暮らしに暗い影を落としていました。励ましの言葉も持たず、きっと事態は好転するはずとしか言えませんでした。
85歳になる叔母は、長生きしてよかったのか、まさかこんな目にあうなんてと・・・・。小学校・中学校をともにした友人は、この田村市に住む人たちと一緒に生きていくしかないと・・・・。学校でもっと原発のことを勉強すればよかったと・・・・。
でも、やはり幼い子供や孫の為には、少しでも疑いがあれば食べさせるわけにはいかないと、自分たちが作った野菜を食べようとしない故郷に生きる人々のお話、科学的知見で冷静に対応すべきという意見も説得力は持たないようです。
滝桜も普段の人出がなく、ゆっくりと味わうことができました。春はきっとそこまできているはず、「三春」の言葉にあるように、梅も桜も桃も一斉に咲いてくれるはずです。放射能の恐怖で暗くなった故郷tの人々の心を照らしてくれているようでもあります。事態が収束の方向に向かうことを祈りながら、故郷を後にしました。

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